1967-07-12 第55回国会 参議院 本会議 第24号
正一こと木暮さんは、たびたび父に伴われて福沢先生の顔容に接し、その人格と迫力に魅せられて慶応大学にお入りになったのでありましょう。 初当選のころ、国会図書館の語りぐさがございます。大正十三年のころ、毎日毎日、判を押したように国会図書館にあらわれる実に熱心な青年の勉強家がいました。それが、当時の木暮武太夫さんでありました。
正一こと木暮さんは、たびたび父に伴われて福沢先生の顔容に接し、その人格と迫力に魅せられて慶応大学にお入りになったのでありましょう。 初当選のころ、国会図書館の語りぐさがございます。大正十三年のころ、毎日毎日、判を押したように国会図書館にあらわれる実に熱心な青年の勉強家がいました。それが、当時の木暮武太夫さんでありました。
私はここの全收容兒を集めまして、一場の説話を試みたのでありますが、その瞳光顔容から見て、大部分が正常の少年ではないと感じました。委員長の手許に提出しました表に示されておりますように、その八割までは先天的精神発育異常者であります。從つてこれは少年院以前の問題でありまして、胎兒たる以前に遡らなければならないのであります。
私の縣の福岡縣のごときも七百六十万円という生業資金を援護廳から引上げられるという醜態を実は暴露して、その縣に生を受けた私として、殆んど四十五万人の福岡縣引揚者になんの顔容があつて見えるかという実は責任を感じておる次第であります。まあその後の処置として今回一千四百万円の生業資金が割当てられるというようなことであるけれども、そこに救済の策も手が打たれておるのでありましよう。